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熊本地方裁判所玉名支部 昭和38年(ワ)9号 判決 1969年4月30日

原告

宮川津久太

代理人

諫山博

青木幸男

被告

荒尾市

右代表者

市長

古閑幹士

代理人

本田正敏

主文

被告は原告に対し、金一六四万六、五五〇円およびこれに対する昭和三八年六月一九日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その四を被告の、その余を原告の各負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金三八六万九、二七〇円およびこれに対する昭和三八年六月一九日(本件訴状送達の日の翌日)から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決ならびに第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として

一、被告荒尾市は、前市長坂田昌亮の時代に、住宅難緩和のため、荒尾市深瀬に朝日ケ丘団地と称する住宅団地の建設計画を樹て、訴外三井鉱山株式会社から右用地として八万八、九七四坪一合八勺(広報「あらお」では一一万坪と発表)の土地を購入し、その実行に着手した。

しかして右団地の建設計画によれば、当初(昭和三五年三月一八日頃)公営住宅の建設予定戸数は四七二戸(昭和三四年度において既設の五〇戸を含む)であり、これを昭和三五年度八二戸、同三六年度八二戸、同三七年度八三戸、同三八年度九〇戸、同三九年度八五戸宛逐次建設すると同時に、同団地の敷地を一般に分譲して私住宅の建築や住宅公団によるアパートの建設等をはかり、右三九年度には公私営併せて一、五〇〇戸の住宅を建設すると同時に、それに附属して学校、郵便局、公民館、共同浴場、派出所、公園等を建設し一大団地を完成する予定であつた。

二、ところが、右公営住宅には浴室設備の計画がなかつたので、被告荒尾市は右団地内に急ぎ公衆浴場を設置することとなり、右浴場を建設経営しようとする希望者を一般市民の中から募集し、数名の右希望者中から原告が選ばれた。

よつて被告市は原告に対し、前記朝日ケ丘団地建設計画の内容を詳細に説明し、早急に同団地内に公衆浴場を建設するよう依頼した。

原告は被告に対し、右計画の確実性を確かめたうえで、建坪三〇坪ばかりの同浴場を建設する意向を伝えたところ、被告は将来住宅数が増加するので六〇坪の浴場を建設して欲しい旨申入れて来た。

三、そこで、原・被告間において種々折衝の末、昭和三五年九月二六日原告と被告荒尾市間に、次のような条項を内容とする公衆浴場建設に関する契約が成立した。すなわち

(1)  被告荒尾市は朝日ケ丘団地に昭和三九年度迄に、市営住宅四七二戸を含む住宅一、五〇〇戸を建設する。

(2)  原告はみぎ朝日ケ丘団地の一部である荒尾市北障子岳四、六六一番地所在の土地六七一坪のうち二〇〇坪内に四八坪の公衆浴場を建設し、将来これを六〇坪に増設する。

(3)  被告は原告に対し、右公衆浴場の敷地として前記二〇〇坪の土地を代金三八万円で売却し、原告は右敷地を右公衆浴場の建設以外の目的に使用しない。

四、右契約は、被告荒尾市は原告に対し、住宅数一五〇〇戸の団地の建設計画を完全に実現することを約し、原告は被告に対し、被告の右建設計画を了承し、同団地に公衆浴場を建設することを約したものであつて、対価関係はないが、相互に義務を負つている双務契約関係であることは明らかである。

そしてこの双務契約性は、被告市が仮に浴場建設を募集した事実はなかつたとしても、その成立を妨げるものではないのであり、また原・被告間の土地売買契約(乙第六号証の一)はこの基本契約関係(双務契約関係)の上に締結されたものである。因みに売渡目的を明示した同契約書第一条、買受け後の用途制限を規定した同第二条はいずれもこのことを雄弁に物語つているものというべきである。

五、しかして、原告は右契約の履行として、昭和三五年一〇月二〇日頃右土地上に公衆浴場を建設する工事に着手し、同三六年二月九日頃九分九厘迄これを完成し、その後熊本県より同浴場営業の許可を受けた。

しかしてこの間原告は右団地計画の確実性について屡々不安をもつたので、たびたび被告市に確かめたところ、被告市はその都度「間違いない、もし朝日ケ丘団地計画が中止され、原告が損害を受けるようなことになればその損害は被告市が必らず補償する。」と確言するので、猶一抹の不安が残らないではなかつたが、被告の右言辞を信じて前記浴場の建設工事を続行した次第である。

六、しかるところ、同三五年一二月二四日前記坂田市長が死亡し、現在の古閑幹士市長になると、被告荒尾市は同三六年二月突如として右団地建設計画を変更し、昭和三五年度の建設予定戸数九〇戸を五〇戸に減少すると共に、同三六年度からの建設計画を全面的に中止するに至つた。

七、朝日ケ丘団地は、附近の住家から遠く離れており、団地以外の住宅からの入浴を期待することはできない。

そのため原告は前記のように公衆浴場の営業許可を得ていながら営業することができず、後記のように財産上ならびに精神上莫大な損害を被むつた。

八、右損害は、被告荒尾市が前記双務契約に違反して右契約上の義務を履行しないことに胚胎、かつ被告が右建設計画を確定的に中止したことにより同被告の右双務契約上の債務(昭和三九年度迄に住宅一、五〇〇戸の建設を完了すること)はその責に帰すべき事由により履行不能に帰したことになるので、原告は民法第五四三条により本訴をもつて前記第三項記載の契約を解除し、被告に対し、後記損害の賠償を求める。

九、仮に、原・被告間にみぎ原告主張のような双務契約が成立しないとしても、本件住宅団地の建設は公営住宅法の適用を受け、被告市としては同法第五条(一団の土地に五〇戸以上集団の公営住宅を建設する場合は事業主体は併せて共同施設を建設するようにしなければならない旨の規定)により右団地内に共同施設の一たる共同浴場を建設すべき義務を負つていたものであつて、これを自ら建設するかもしくは他に委託して建設しなければならなかつたものであるところ、被告市は後者の方法をとり、原告にこれを委託したものであるから、原・被告間には請負型の委任類似の契約が成立した(その時期は前記昭和三五年九月二六日である)ものであるというべきところ、右共同浴場の建設は前記のごとく公営住宅法上建設義務を負つている被告市の利益をはかる目的に出たものであることは勿論であるが、他方原告においてもこれにより浴場営業をなし収益を挙げるため必要不可欠だつたものであるから、原告の利益をも同時にその目的としたものであり、しかして民法第六五一条はかかる委任類似の契約にも類推適用ないし準用さるべきものであるので、被告としては相手方たる原告に不利な時期において該契約を解除することは已むを得ない事由の存するときを際いては許されないものであり、本件の場合被告市に斯かる已むことを得ない事由の存したことはこれを認め得ないところ、被告は原告が右浴場を九分九厘まで完成しやがて同営業を開始しようとする際に本件住宅団地の建設を中止し右契約を解除した(その時点は昭和三六年二月頃である)ものであるから、右解除によつて生ずる一切の損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

一〇、もしまた、被告市の団地建設計画の廃止が、前記契約上の義務違反(債務不履行)には該当しないとしても、不法行為には該当するものである。

すなわち

(一)  被告荒尾市は、将来確実に実行できるかどうかわからず、中途で変更もしくは中止するかも知れないような不確定な団地建設計画を恰かもその計画が確実に実行されるがごとく原告に申し向けて同人をその旨誤信させ、かつ浴場の建設施工に際してもその場所や建坪数、屋根瓦の種類等につき種々指示干渉して、同人に前記公衆浴場を建設させておきながら、それが九分九厘完成した段階においてそれを知りながら突如として財政的理由に藉口し、一方的に右計画を中止し原告をして右公衆浴場の開業を不可能にし該建設を徒労に帰せしめたものであるから、みぎは故意に因り他人の財産権を侵害した違法なものというべく、被告は民法第七〇九条七一〇条に基づき原告に対し、右不法行為に因つて原告の被むつた損害を賠償すべき義務がある。

(二)  また仮に、被告荒尾市が前記住宅団地の建設計画が確実に実現されるものと確信して原告にその旨告げ浴場建設に着手せしめたものであるとすれば、かかる計画は常に変更される可能性をもつているものであるから、不注意によつてその可能性を認識しなかつたものとして過失の責を免がれないものであり、故意がないとしても最小限過失に因り原告の財産権を侵害したものというべく、前同様不法行為に因る損害賠償の責を免がれ得ないものである。

(三)  またもし仮に、被告荒尾市にみぎ民法上の不法行為責任がないとしても、前記経緯のごとく該団地建設計画遂行の一環として原告に本件共同浴場を建設させながら、一方的に右計画を中止し同人をして右浴場の開業を不可能ならしめ該建設を徒労に帰せしめたものは被告市の本件団地建設計画遂行の衝に当つていた市長古閑幹士および同市建設部の関係吏員等被告市の公務員であり、しかして同人等には前項(一)、(二)掲記の故意または過失が存したのであるから、同人等による本件住宅団地建設計画の中止は、被告市の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて故意または過失によつて違法に他人に損害を加えた場合に該当し、被告市は右損害を賠償すべき義務を免がれないものといわなければならない。<以下省略>

理由

一、被告荒尾市長坂田昌亮の時代に住宅難緩和のため、昭和三五年から五ケ年継続の特定計画として建設省の認可を受けたうえ、荒尾市深瀬に朝日ケ丘団地と称する住宅団地の建設計画を樹て、訴外三井鉱山株式会社から右用地として八万八、九七四坪一合八勺(広報「あらお」では一一万坪と発表)の土地を購入し、その実行に着手したこと、しかして右住宅団地の建設計画によれば、当初(昭和三五年三月一八日頃)の建設予定戸数は四七二戸(昭和三四年度において既設の五〇戸分を含む)であり、これを昭和三五年度八二戸、同三六年度八二戸、同三七年度八三戸、同三八年度九〇戸、同三九年度八五戸宛逐次建設すると同時に、同団地を分譲して私住宅の建設をはかり、右三九年度迄には公私営併わせて一、五〇〇戸の住宅を建設する予定であつたこと、ところが右公営住宅には浴室設備の計画がなかつたので、被告市は、右団地内に公衆浴場を建設開業したい旨の希望を有し、その旨被告市に申入れてきた原告に対し該朝日ケ丘団地の建設計画を説明して早急に公衆浴場を建設するよう要望し、原告は被告に対し右計画の確実性を確かめたうえで三〇坪ばかりの公衆浴場を建設する意向を表明したこと、これに対し被告市は右浴場の規模としてとりあえず四八坪(将来は六〇坪)のものを希望しその建設方を促したこと、しかして昭和三五年九月二六日原・被告間に荒尾市北障子岳四六六一番地所在の被告所有地六七一坪中二〇〇坪につき売買契約が成立したが、右契約書中に、被告は原告に対し右二〇〇坪の土地を公衆浴場敷地として代金三八万円で売却し、原告は右土地を右公衆浴場建設以外の目的には使用しない旨の条項が存したこと、その後原告は右公衆浴場の建設に着手しその建築が相当程度進行した(右進行度については争いがある。)頃である同三六年二月被告市は右住宅団地建設計画を変更して同三五年度の建設予定戸数九〇戸を五二戸に減少し、かつ同三六年度からの建設計画を全面的に中止するに至つたこと、該団地は市街や部落から離れておるので、右公衆浴場に右団地以外の住宅からの入浴を期待することはできないこと、被告市は地方財政再建特別措置法の適用を受ける再建団体であり、昭和三一年から六ケ年計画をもつて八、〇〇〇万円の赤字解消に努力していたこと、同市がその頃三池争議の影響で鉱産税等市税の減収を被むつたこと等の事実については当事者間に争いがない。

二、原告は、まづ被告荒尾市は、同市が公募し銓衡した朝日ケ丘住宅団地公衆浴場建設経営者の選に入つた原告に対し、被告市において昭和三九年迄に一、五〇〇戸の住宅団地建設計画を完全に実現するをもつて早急に右団地内に六〇坪の公衆浴場を建設して欲しい旨申し入れ、原告はこれを承諾し、ただ資金の関係上、とりあえずは四八坪の浴場を建設し将来それを六〇坪に増設する旨答え、被告もこれを了承したものであるから、これによつて被告市は原告に対し、右住宅団地を完成する義務を生じ、また原告は被告に対し、右団地内にまず四八坪の公衆浴場を建設し、後にこれを六〇坪に増設すべき義務を負うに至つたものであつて、この両者の義務は双務契約の関係にあるものであると主張するので判断するに、<証拠>を綜合すると、被告荒尾市はその広報「あらお」紙上を通じて昭和三四年一二月頃から同三五年六月頃にかけ三回に亘つて市民一般に対し、朝日ケ丘住宅団地造成計画の概要並びにその進行状況を公表し、かつ右団地内に共同施設の一つとして公衆浴場の建設されることも予報しておつたこと、しかして右浴場の建設につき、被告市は当初同市自体において直接行うか、それとも民間有志の者に実施させるかについて適確な方針を打ち出しておらなかつたが、のちに市民中の適当な者の自営による公衆浴場としてその建設をはかることに方針を定め、かつ浴場建設の緊要性(因みに右公営住宅にはすべて浴室の附属設備がなく、同住宅の入居者から市当局に対し共同浴場早期建設方の突き上げが行われておつた)から速やかに右浴場の建設に着手したいという意向をもつていたが、右浴場の建設経営を広く公募して選ぶということにまでは至らなかつたこと、しかし偶々当時その住家が二級国道(国道二〇八号線)の建設敷地にかかつて早晩立退かなければならない状況にあつたところより右団地内敷地の一部分譲を受け同所に転住して公衆浴場を建設し同団地住民を対象として右営業を営みたいという希望を有する原告が、同三四年末頃から同三五年九月頃にかけて再三申請もしくは請願の形式により被告市に対し右営業目的をもつてする団地敷地の払下げ方を懇請してきておつたので、同人における右特殊事情等からその請いを容れて該団地内の浴場建設適地として同市荒尾字北障子岳四六六一番地所在六七一坪のうち二〇〇坪を原告に代金三八万円が分譲払下げることを決定し、同三五年九月二六日原告との間に右土地売買に関する契約を締結するにいたつたこと、ところで右契約に、被告市の原告に対する義務条項として明記されておつたものは、(イ)被告がその所有に係る北障子岳四六六一番地所在の土地二〇〇坪を原告に対し代金三八万円で売渡すべき旨のこと、(ロ)原告が右売買代金を完納したときは、同人に売渡証を交付し、かつ可及的速やかに所有権移転登記に必要な書類を交付すべき旨のこと、(ハ)原告が右売買代金完納時迄の間において建設の建築および施設物の設置等で該土地を使用する必要があるときは、契約解除の場合原状に復することを条件として同人に対し右土地の使用を許可すべき旨のことの三項目だけであつて、以上のほかには被告市の原告に対する義務負担を規定した条項はなく、なお右土地売買契約以外に原・被告間に明示の契約と目すべきものはなかつたこと等の事実が認められる。

原告は、右土地売買契約以外に原告の公衆浴場建設と被告の団地建設とを相互的に義務付ける基本契約が存した旨主張するが、これを認めるに足る証拠は存しない。

そうすると、右の事実に、被告の右住宅団地建設は地方公共団体たる被告市が、住宅建設計画法所定の建設計画並びに公営住宅法所定の建設基準に従い、住民の福祉増進のため自主的に行なうところの自治行政権の作用に属するものであること(住宅建設計画法第六条、第七条第二項、第九条第二項、公営住宅法第三条、第五条、第六条、第九条等参照)等の事情を綜合して考えると、被告市の右住宅団地建設と原告の公衆浴場建設とは対価的な意義を有しないことは勿論、相互に義務を負う関係でもないことが明らかであるというべきところ、およそ双務契約は契約の各当事者が相互に対価的意義を有する債務を負担するものであつて、契約当事者が相互に義務を負う関係がないときは勿論、かかる義務関係があつても、その義務が対価的意義を有しないときは双務契約とはいい得ないものであり、またここに対価的意義とは契約上の各当事者が相手方から出捐を受けることを前提とし、もしくはこれを目的としてのみ自らも出捐することを約することであり、かつ当事者の意思においてそれぞれの出捐が価値的に見合うものとなつていることをいうものであるから、結局原告と被告市間には斯かる双務契約関係は存しないものといわなければならないし、その他被告市が前記土地売買契約に基づき原告に対し負つている前叙(イ)乃至(ハ)の各義務についても、これが不履行ないし違反を認め得る証拠は何ら存しない(むしろ本件弁論の全趣旨に徴すれば右(イ)および(ハ)については、既に被告市においてこれを履行済みであり、同(ロ)の売渡証および移転登記関係書類の交付義務は未だ履行されていないが、これは該義務に対し先給付の関係にある原告の残代金支払義務が履行されておらないためであることが明らかである。)ので、結局被告市の責に帰すべき事由による履行不能を理由として前記土地売買契約ないし原告主張の基本的双務契約(かかる契約関係を認め得ないことは前記のとおりであるが)を解除し損害の賠償を求める原告の主張は失当というべきである。

三、つぎに原告は、仮に原・被告間に右双務契約が成立しないとしても、本件共同浴場の建設は、公営住宅法上団地建設の事業主体たる被告市の義務とされておるものであり、同市はみぎ建設を原告に委託したものであるから、両者の間には請負型の委任類似の契約が成立したものであるというべく、したがつて斯かる場合委任者は受任者に不利な時期において該契約を解除することは許されないものであるところ、委任者たる被告市は受任者たる原告が右浴場を九分九厘まで完成しやがて同営業を開始しようとする際に至つて団地建設計画を廃止し延いては右委任契約をも解除したものであるから、右解際によつて生ずる一切の損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない旨主張するので按ずるに、およそ委任は、受任者が委任者に対し、法律行為もしくは非法律行為をなすことによつて、みぎ委任者の事務を処理することを約する契約である(民法第六四三条第六五六条参照)ところ、前記証拠によると、本件公衆浴場は原告が同人の浴場営業開業のため同人の計算において建設したものであることが認められる(右認定に反する証拠はない)ので、右建設は同人自身の事務を処理する行為すなわち自己事務の処理に属するものとして委任による行為とは言い得ないものといわなければならない。

したがつて原・被告間における委任契約の存在を前提とする原告の被告に対する損害賠償の請求もこれを認めるに由ないものというべきである。

尤も両者の間には、団地共同施設たる公衆浴場の建設という共同目的遂行の上において必要な協助・互恵の信頼関係が成立し、法律上の保護に値いする利益が存するものと考えるべきであることについては、後記のとおりである。

四、つぎに原告は、被告市の団地建設計画の廃止が、前記契約上の義務違反(債務不履行)には該当しないとしても、不法行為には該当するものである旨主張し、まづ被告荒尾市は将来確実に実行できるかどうかわからず、中途で変更もしくは中止するかも知れないような不確定な団地建設計画を恰かもその計画が確実に実行されるごとく、原告に申し向けて同人をその旨誤信させ、かつ浴場の建設施工に際してもその建設位置や建坪数、屋根瓦の種類等につき種々指示干渉して同人に前記公衆浴場を建設させておきながら、それが九分九厘完成した段階においてそれを知りながら突如として財政的理由に藉口し、一方的に右計画を中止し、原告をして右公衆浴場の開業を不可能にし該建設を徒労に帰せしめたものであるから、かかる所為は故意に因り他人の財産権を侵害した不法行為に該当するものである旨主張するので検討するに、<証拠>を綜合すると、朝日ケ丘団地公営住宅建設計画は、その行政区域内に広大な荒蕪地ないし休閑地を擁する被告市がこれを活用して、大牟田・荒尾地区のいわゆる有明臨海工業都市間の一大ベッドタウンを建設し、もつて住宅難を緩和すると共に、被告市の繁栄に資するという構想の下に、同市深瀬山所在の土地八万八、九七四坪一合八勺を当時の所有者三井鉱山株式会社および三井化学工業株式会社から買収し、入居希望者の調査をなし、毎年度の建設予定戸数を概定し、なお一般住宅のほか、学校、公民館、郵便局、派出所、公衆浴場等団地共同施設の配置計画も具体的に樹立したうえ、昭和三五年から五ケ年継続の「特定計画」(単年度事業でなく、最大限を五ケ年とする継続事業で、国から年毎もしくは事業年間の補助金の交付を受けられる利点がある)として、建設大臣の認可(正確には公営住宅法第九条第二項所定の国の補助金交付の決定)を受けてその実施に着手したが、その第一、二期分として約一〇二戸の建設を終つた頃である同三六年二月市長交替による施政方針の変更(財政支出抑制策等)から俄かに右建設計画を中止し、つづいてこれを廃止するに至つたものであること、しかして事業主体(地方公共団体)が斯る公営住宅建設事業を廃止しようとするときはあらかじめ建設大臣の承認を受けなければならないものとされておる(公営住宅法施行規則第四条第一項)ところ、被告市は右建設計画の中止を決定すると同時に右廃止承認の申請手続をとり、同年三月二八日正式右承認を受けておるので、被告の右団地建設計画の廃止は、手続的に瑕疵の認むべきものがないこと等の事実が認められる。

原告は、とくに被告市の右団地建設計画の廃止は、何ら財政的理由に基づくものでなく、専ら被告市の内部事情(革新系の坂田昌亮に代り保守系の古閑幹士が市長になつたこと等)から出た恣意的かつ、政治的動機によるものであつて、住民福祉のための公営住宅の建設を政争の犠牲に供したものというべく、政治道義的にも許されないものである旨主張し、前記証人吉田忠臣の証言中には一部これに照応する趣旨の供述がみられるが、右供述は同証人の政治的立場(同人が前坂田市長の最有力な側近者であつて、同市長の死去後は一時市長職務代行者も勤めたことがあり、政見を異にする現古閑市長の就任後間もなくその職を退いていること等)や前顕他の証拠と対比したやすく措信し難く、原告主張のごとく被告の団地建設計画廃止をもつて恣意的、政治的なものとは必らずしも断じ難い(尤も被告市の右団地建設計画の廃止が財政的に已むを得ない措置であつたとまでは言い得ないこと、後述のとおりである)。

その他前記認定を左右するに足る確証はない。

右認定事実によると、被告市の右住宅団地建設計画は、その計画の当初においては、具体的な構想のうえに立脚し、住宅建設計画法及び公営住宅法に基づく五ケ年継続の特定計画として発足した確実な行政事業であつて、原告主張のような実行できるかどうかわからず、中途で変更もしくは中止するかも知れないような不確実なものではなかつたものであり、したがつて被告市がかかる不確実なものをことさら確実なもののようにいつわつて原告に申し向け同人をその旨誤信させて公衆浴場を建設させながら、政争目的等から恣意的に右団地建設計画を廃して原告の右浴場建設を徒労に帰せしめたものであるとは到底言い得ないものといわなければならない。

そうであるとすれば被告市が故意による欺瞞的言動に因つて原告の財産権等を侵害した不法行為の責任があるとする原告主張の採用するに由ないことも明らかである。

五、さらに原告は、被告市に右のような欺瞞的故意がなく、前記団地建設計画は右計画どおり確実に実行できるものと確信して原告にその旨告げ同人をして前記公衆浴場を建設せしめたものであるとすれば、元来団地の建設計画というがごときものは常に変更される可能性をもつているものであるから、被告市がこれを認識しなかつたということは、結局その不注意に因るものというべく、したがつて被告は最少限過失に因り原告の財産権を侵害した責は免がれ得ないものというべきである旨主張するが、およそ右主張に係る常に変更される可能性というものは、とくにそれが論理学上通常用いられる意義と別異のものではないと解する限りでは、それは単なる可能性とは異なり高度の蓋然性と同義のものであるというべきであるところ、一般に団地建設計画なるものが、その変更について高度の蓋然性を有するものであるということについては何ら立証がないのみならず、むしろ<証拠>を綜合すると、被告市が策定した本件団地建設計画は前記のようにすくなくともその計画の当初においては確実な基礎をもつたものであつて、原告主張のような変更の蓋然性は認め得ないものであることが明らかであるから、被告市が常に変更される可能性のある団地計画を不注意によつて認識せず原告に無益の浴場工事を実施せしめることによりその財産権を侵害したものであるとする原告主張も、またそのいわれがないものといわなければならない。

六、しかしながら、<証拠>を綜合すると被告市が五ケ年間に建設を計画した公営住宅は総戸数四七二戸で、これには浴室設備の施工計画がなかつたため、被告市は公衆浴場を該住宅団地必須の共同施設としてその建設を計画(因みに公営住宅法第五条第二項によると、地方公共団体等の事業主体は一団の土地に五〇戸以上集団的に公営住宅の建設をするときは、これにあわせて共同施設の建設を、建設大臣の定める建設基準に従いするように努めなければならないものとされており、かつ同法第二条第七号により共同浴場はみぎ共同施設の一つとされている。)し、かつ当初は該団地内に三ケ所建設する構想であつたが、間もなくこれを改めて同団地内の東西両地区に各一ケ所(規模三〇坪程度)宛計二ケ所民営で建設する案を樹て、その後さらに同浴場業者の経営安定等の観点より、右浴場を一ケ所にまとめて規模六〇坪程度のものを建てることに変更決定した<反証―排斥>こと、右浴場複数案の頃は該浴場の建設経営者を市広報により希望を申し出た者の中から抽籤その他の方法で銓衡する考えであつたが、その後一ケ所案となつてから、前記のごとくその住家が国道の建設敷地にかかつているため早晩立退かなければならない状況にあつた原告が右団地の敷地を分譲してもらえればそこに公衆浴場を建設して営業したいという熱心な希望をもつており、熊本県土木部(現実には熊本県玉名土木事務所長)の方からもなるべく同人の右希望を叶えさせてもらいたい旨の要請であつたので、当時原告以外にも二、三人の者が右公衆浴場の建設経営を希望し同市々会議員等の紹介斡旋により団地敷地の分譲払下げ方を申し出ておつたが、原告における右特殊事情等を考慮し、かつ同人提出の右浴場建設計画や資金計画等も参酌したうえ、該公衆浴場の建設経営者として同人を適当と認め、被告市が右浴場の建設敷地(一ケ所案となつた後の建設予定場所)として計画していた該団地内の土地(荒尾市荒尾字北障子岳四六六一番地所在の六七一坪のうち二〇〇坪)を原告に代金三八万円で払下げ売渡すことにし、同人との間に昭和三五年九月二六日付で前記のような土地売買契約を締結したこと、ところで右契約中には原告において、被告市より払下げを受けた右土地を締約後五年間は公衆浴場の敷地以外には使用してはならない旨用途制限に関する条項があり、また被告市も右のように数人の競願者中原告だけに浴場建設目的で団地の敷地を払下げたのであつて、右契約の締結は、単なる土地の売買に止まらず、該浴場の建設経営は原告一人に行わせる趣旨を含んでおつたものである(このことは被告弁論の趣旨から明らかである)ことが窺われること、しかして右土地の売買契約当時被告市は、既に入居済みの一部団地住民のため応急的に三井鉱山株式会社三池鉱業所に折衝のうえ、該団地と比較的近い距離にある同鉱業所大谷社宅の共同浴場を借受けていたが、右期限が切迫していたのでそれまでには前記公衆浴場の建設を終わることを目途として原告に対し右浴場の開業時期を概ね同年三月末と指定しその建設を急がせ、また浴場の位置についても当初原告が設計し予定していた位置から既設の道路沿いの位置に変更させたが、その規模については原告の建設費準備の便宜を考慮してその請いを容れ第一次起工分として中間的規模の四八坪(ただし将来は六〇坪に拡張することとし、そのためそれに必要な余積を残しておくことを条件にして)を容認し、なお被告市建設部住宅係長田中善治において原告に対し右建設施工に際し、建物の窓の形状、屋根瓦の材料およびその勾配度、内壁タイルの模様化その他建築構造上の技術的事項等について種々指導助言ないし指示をなし、かつ他の浴場の視察やタイル等浴場材料の見分に原告を連れて行つたこともあつたこと、また同係長および同住宅係の泉吏員はこの間数回に亘り原告から該団地に計画どおり四七二戸の公営住宅を含む一、五〇〇戸の住宅が間違いなく建設されるかどうか真剣にただされたが、同係長等としても当時は右団地建設計画が同市議会の承認を得、かつ建設大臣の認可を受けて策定した特定計画事業であることとてその確実な施行を信じておつたので右質問を受けた都度原告に対し前記特定計画の配置図を見せ「この通り間違いなく建つ」とか「認可を受けた特定事業だから間違いないと思う、もし建たないようなことがあつたら、市に賠償を求めたらよいではないか」等と答え、当時原告から浴場営業が成り立つまでの繋ぎ営業として兼業方承認の申出があつた煙草小売業についても、団地公衆浴場営業専念の立場から適当でないとして、これを撤回中止させたこと、そこで原告も被告市の右団地建設関係職員の言辞を信頼し五ケ年内には右計画戸数の住宅が間違いなく建設されるものと信じて該公衆浴場の建設を急いだこと、しかるところ被告市は、その市長坂田昌亮が死去し、後任に古閑幹士が選ばれ就任するや旬日を経ない昭和三六年二月上旬突如として右団地建設計画を中止し、さらに同年三月二八日建設大臣の承認を得て右計画を確定的に廃止したこと、右中止当時原告は該浴場につき、脱衣場と浴室間、並びに男・女浴室間の各仕切り、浴室のコンクリート打ち、浴槽・浴室・内壁各所のタイル張り、窓硝子、照明器具、煙突等の取付けを除く爾余の工事を完了しておつた(その完成度について請負人宮崎功は約七、八〇パーセントと供述しているが、被告は八〇パーセントの限度においてこれを認めているので、結局中止時における完成度は八〇パーセントと認定するのが相当である。)こと、しかしてその頃団地住宅の建設完了戸数は未だ一〇二戸を数えるだけで、かつ前記のように右団地以外の住民の該浴場への入浴は全く期待できなかつたので、結局原告は右浴場を完成して開業しても到底経済的に成立たないところより右浴場の完成を眼の前にしてその建設を中止せざるを得ない結果になり、その後同年七月一〇日付で熊本県から原告に対し予ねて申請の公衆浴場営業の許可が降りたが、原告はみぎ事情から開業するに由なく、現実に一日も営業することなく今日に至つていること、なお、該団地内には、みぎ浴場のほか、集会所・児童遊園等公営住宅法所定の共同施設もついに建設せられずに終つたこと等の事実が認められ、右認定に反する証人田中善治の供述中の一部は前顕証拠と対比し措信できない。

右事実によると、右公衆浴場の建設は被告市の住宅団地建設計画の一環として必要不可欠なものであつた(公営住宅法上団地建設者たる被告市に該浴場建設の努力義務が存したことは既述のとおりである)のであり、もし原告においてこれが建設を希望しないときは被告市自らもしくは原告以外の希望者をしてでもその建設を実施せざるを得なかつた性質のものであつた(尤も前記のごとく被告市は、当時入居済みの団地住民が三井三池鉱業所の浴場に入浴し得られるよう同鉱業所との間に特約を結んではおつたが右特約は団地の共同浴場が完成するまでの間の応急的暫定的なものであつて、かかる特約の存した故をもつて団地建設の事業主体たる被告市の該浴場建設の努力義務が免除されるものでないことは前記公営住宅法第五条第二項第二条第七号の文理上明白なところである。)うえ、被告市はみぎ入居済みの団地住民からの要求等により早急に団地共同浴場の建設に着手せざるを得ない事情があつて、原告に右工事の早期着手方を促し、同浴場の建設位置やその建坪数について指示に近い要望をなし、かつ施工の細目についても具体的に種々技術的な指導助言を与え(前記田中証人はかかる指導助言をなしたことはない旨供述しているが、証人宮崎功の供述並びに原告本人尋問の結果と対比して措信し難いのみならず、建設省令の公営住宅建設基準第一九条によれば「共同施設は当該共同施設を建設する目的に適合した構造及び施設を有しなければならない」ものとし、また同基準第二一条は「共同浴場はその床面積が浴室を有しない公営住宅一戸につき〇、三平方メートルから〇、四平方メートルまでの割合のものとなるように建設する」ことを標準とする旨定めておるので、共同浴場が団地建設事業主体以外の者により建設される場合においても右基準を充たすべきことが要請される関係上右事業主体たる被告市としては右浴場建設者たる原告に対し右基準充足のため種々指導助言もしくは要望をなすべき責任を有する立場にあつたものであること等の事情に考えるときは、被告市が原告に対し右のような指導助言等を与えておつたことは、優にこれを窺い得るものといわなければならない。)、また右団地建設計画の変更等についての原告の危惧についてはそのようなことは絶対にない旨確言して安心させ右浴場建設の工事を進行せしめておつたものであるから、斯かる事情のもとにおいて被告市の執行機関たる首長が、原告の浴場建設を徒労に帰せしめるような該団地建設計画の廃止(該公営住宅建設事業の廃止)の挙に出るということは、これによつて原告の被むる不利益を防止し、もしくはその損害を賠償することを条件としてはじめて許容されるべきものであり、然らざる限り該行為は違法性を帯びるものといわなければならない。

けだし一般的には、住宅団地の完成を信じ該団地内に団地住民を対象として店舗、工場等の事業所を設けその他各種の先行投資を行つた者があつて、かつかかる者が右団地の中途廃止措置により損害を被むつたとしても、それは期待利益の反射的な喪失にすぎないので、これをもつてたやすく当該団地建設の事業主体に右損害の賠償義務が生ずるものとみることはできないものというべきであるが、原告の本件浴場建設は、同人の私企業たる公衆浴場営業開業の目的に出ておるものであると共に、反面住宅団地建設の事業主体として該団地共同施設の一たる共同浴場(公衆浴場)を右団地内に建設するよう努めなければならないという被告市の公営住宅法上の義務を実質的に肩替りし、その団地建設の一端を担つたものであり、被告市はこれを利用した関係にあつたものであつて、原・被告間におけるかかる目的共同関係から被告市も原告の右浴場建設に積極的に協力してこれを援助すべきであり(被告市の原告に対する浴場敷地の払下げ、同建設についての施工上の助言、該浴場営業を経済的ベースに乗せるに必要な住宅数の建設を確保し、原告の生活基盤を安定させること等は、かかる協力援助の内容として理解すべきものである。)、原告は被告市のかかる協力援助を期待してこれに信頼を懸けることができるという協助・互恵の信頼関係が成立しておるものであるというべく、しかしてかかる協助・互恵の信頼関係に基づき原告の有する利益は十分法律上の保護に値いするものであるというべきであるから、かかる利益を何らの代償的措置を講ずることなく一方的に奪うということは信義則ないし公序良俗に反し、また禁反言の法理からも許されないところであつて、違法性を具備するにいたるものと考えるを相当とするからである(なお被告市が、本件浴場を含む公営住宅法所定の共同施設を建設しないことは、建設済みの公営住宅一〇二戸の入居者に対する関係において、同法第五条による事業主体としての義務を尽くさない違法があるものである)。

尤も地方公共団体における公営住宅の建設は、当該住民の福祉を増進する目的をもつて、同住民の利用に供するための施設の設置管理等を内容とする性質のものであるから、それはいわゆる管理行政の範囲に入り、かつ国からの補助は受けても国の事務として行うものではないから当該地方公共団体の固有事務に属し、結局その自治行政権に基づき自主的に行われる(ただし、公営住宅法所定の基準に従わなければならないという制約は受けるが)行政作用であるものというべく、したがつて右建設の実施も、また同廃止も本来その自由に決し得るところのものであり(とくに団地建設の廃止というがごときことは相手方の意思の拘束という意味における法律的効力を生ずるものではないので、法的行為ではなく、事実的行為に属し、したがつて厳密には行政行為ともいい得ない性質のものである。)、ただ国から補助金の交付を受ける関係等でその廃止には所管建設大臣の承認が必要とされておるにすぎないものである。

したがつてこの点からは、被告市がその行政施策(財政緊縮政策等)の必要に基づき本件団地の建設を廃止する所為には何ら違法と目すべきものがなく、それ自体としては適法なものといわなければならない。

しかし右廃止は、前記のごとく原告に対する関係においては団地の共同施設たる浴場を建設経営することによつて被告市の公営住宅法上の義務を実質的に肩替りし、延いてはその管理行政に協力し、反面同被告の住宅団地完成によつて、自己の生活基盤の安定も期し得られるものと信じてきた原告の信頼を著しく破る背信的所為となる(何らの代償的措置も講じないものである限り)ものであり、かつ当時右団地建設の廃止によつて原告がその建設に係る公衆浴場に採算のとれる浴客の来集を全く期待し得なくなるものであること、すなわち原告における致命的な損害発生の必然性を被告市において十分認識しておつたことは、本件弁論の全趣旨に徴し明白であるから、結局被告市の所為は、故意に因り違法に他人の利益を侵害するものとして不法行為(仮に典型的な不法行為でないとしても、すくなくともいわゆる適法行為による不法行為)を構成するものというべきであり、被告市は結局原告の被むつた損害を賠償すべき義務を免がれ得ないものといわなければならない。

ただなお被告市の右住宅団地建設計画の廃止に因る損害の発生関係は、その外形からは国家・公共団体が公物・営造物(例えば公道等)を廃止することに因り当該(沿道)住民に損害を及ぼす場合と類似するので、いわゆる間接侵害または反射作用による損害の範疇に属して公法上の事業損失ないし適法行為に基づく損失補償の問題となるに止まり、したがつてその補償につき特別立法のある場合に限り該責任を負うにすぎないものとして、本件の場合も被告市としては、かかる補償関係について何ら規定するところのない公営住宅団地建設事業の廃止措置に係るものである故をもつて、その補償(もしくは賠償)責任を負うべき限りではないのではないかという疑念が存しなくもないのであるが、右事例における沿道住民の公道に対する関係は、単に受動的・消極的なものであつて、その享受する利益も反射的・恩恵(片恵)的なものにすぎないのであるが、原告の場合該住宅団地に対する関係は、共同施設の一たる公衆浴場を建設することによつて右団地の建設に積極的に寄与するものであり、したがつてその受くべき利益も右寄与に対する反対給付的な意味をもつものとして、交叉的・互恵的なもの、すなわち法律的な保護に値いする利益にまで高められたものであるから、両者は全く異質的なものというべく、同じ外形を有する廃止措置であつても、それにより事業主体(国家・公共団体等)が負うべき法律上の責任関係は自ら異なるものであり、被告市についての前叙賠償責任の帰趨を左右するものではないと解すべきである。

しかして被告市首長による本件団地建設の廃止措置は、前記のごとく管理行政の範囲に属する行政行為類似の事実的行為に属し、権力の行使を本体としない性質のものに属するので、みぎ不法行為による責任は被告市の首長たる代表機関がその職務を行うに付き他人に損害を加えた場合(民法第四四条第一項)に該当する民法上の不法行為(民法第七〇九条)責任であつて、公権力の行使による加害行為としての責任である国家賠償法上の賠償責任でもないものとみるのが相当である。

そうであるとすれば、原告の主張はその理由づけにおいてはこれに賛し得ないこと前記のとおりであるが、被告市に原告に対する不法行為上の責任があるものとする点においては、当裁判所の判断とその趣旨を同じくするものであるから、結局原告の主張中右の点に関する主張は正当としてこれを認容すべきものであるといわなければならない。

被告は、右団地建設計画の廃止は、再建団体たる被告市の赤字財政解消という至上命令に従つた已むを得ない不可抗力的措置であつた旨主張するが、<証拠>を綜合すると、被告市が再建団体に指定されたのは、同市が本件住宅団地の建設を計画した昭和三五年より四年前の昭和三一年であり、その当時における同市の累積赤字は八、三〇〇万円であつたが、その後逐年右赤字は減少しておつたので、みぎ三五年に至り積極的な市の繁栄策として右団地建設計画が立案されたものであり、同団地計画が中止された同三六年二月当時は右赤字が三、五〇〇万円位に減少し、翌三七年度にはこれが概ね解消できる見込みとなつておつたのみならず(事実その後同三七年四月被告市は右赤字を完全に解消し再建団体の指定も解除されている)、なお大規模かつ長期間に亘つた三井鉱山の争議も終熄しそれまでの鉱産税減少等による不利な財政状態からも脱却できる明るい見透しに立つておつたであることが認められる<反証排斥>ので、被告の右不可抗力の抗弁事由はこれを肯認するに由ない。

尤も被告代表者の供述によれば、本件団地の建設については、当初予定していた住宅金融公庫からの融資が受けられなくなつたことによる資金的手違いや現場の土地造成費の見積り違い等があつて、その実施に相当円滑を欠く事態を生じたことのある事実は認められるが、そのようなことは、いずれも被告市が計画当初において慎重を欠き見透しを誤まつたものとしてその過失とはなり得ても、事物の状況に応じ相当と認める人力・施設など一切の方法をもつてしても、その発生及び有害な結果を回避・防止しえない事変を指称する(大判明四三・一一・二五民録一六輯八〇七頁参照)不可抗力の事由となるものではないことが明らかである。

七、よつてさらに被告市の右団地建設計画の廃止によつて、原告の被つた損害について検討することにする。

まづ被告は、原告は現にその主張どおり浴場建物および住家を保有し、被告市の団地建設計画の廃止によつて右建物に対する所有権を喪つたものでも何でもないから、原告のみぎ建設に要した直接・間接の諸費用が該建物の客観的価値に相当するものであるとしても、該費額が原告の損害となる筈はなく(もとより精神的損害を生ずるということもあり得ない)、また住宅の移築に費用を要するとしても、かかる費用は被告市の団地建設廃止との間に全く因果関係を欠くものであつて、いずれにしても被告市は原告に対し何らの賠償義務も負うべき限りでない旨主張するので按ずるに、原告が被告市の本件団地建設計画廃止によつて該浴場および住家(これらの敷地を含む)に対する所有権の喪失、その他その権利関係に何らの消長も来たしたものでないことは被告主張のとおりであるが、みぎ団地建設計画の廃止により既設の住宅人口だけでは公衆浴場としての営業が全く成り立たないところより原告が右営業を断念せざるを得なくなつたことは前認定のとおりであるから、原告建設の右浴場は機能的ないし経済的に不用の廃物に帰したものというべく、<証拠>を綜合すると、本件浴場の建設されている朝日ケ丘団地は国鉄荒尾駅から東方に約四粁距たる深瀬山一帯の起伏の多い錯雑した丘陵上にある荒蕪地で荒尾市の中心部からはもとより周辺部落からも相当離隔孤立しており、交運の便が悪いという立地条件にあるので、同地域に住宅団地が建設されない以上は、公衆浴場はもとよりその他の商業もしくは工業を営むことも経済的に殆んど望めず、従前農業を営んでいた原告としては結局右農業に戻るほかないところ、同人所有の農地(田、畑各四反位)の大半は同人の旧住家が存した同市宮内一三五番地の近傍に分布散在し、団地内の現住宅からは距離があり過ぎてその耕作が困難であり、したがつてどうしても右住宅を旧住家跡附近の未買収地(国道二〇八号線沿いの残宅地)に移築する必要のあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によると、原告は被告市の該団地建設計画の廃止に因り本件浴場建設のため投下した資本価値を失わしめられる(但し浴場の残存価値を控除したもの)結果となり、かつまた現住宅の再移築に出捐を免がれ得ないこととなるので、右喪失額及び出捐額に相当する額の損害を被むつたものとみるのが相当である。

尤も浴場の経済的価値剥奪すなわち経済的廃物化による損害については、それが被告市の該団地建設計画の廃止に因り通常生ずるところの損害であるとして、みぎ両者の間に相当因果関係の存在を肯認することは右浴場が団地必須の共同施設として該団地と命運を共にすべき性質(公営住宅法第五条第二項第二条第七号参照)のものであることから明白であるが、住宅の再移築に要する出捐が該団地建設計画の廃止に因り通常生ずるところの損害と言い得るか否かについては多少の疑義なしとしない。

しかし右住宅の該団地内建築は該浴場営業の経営存続ということを前提としてなされたものであり、かつ前記のごとき当該地域の地理的孤立性及び経済的不毛性から住宅団地の建設等右地域の経済性に変革向上をもたらすような事象の生じない限り同所において生業の途を求めるということは到底困難で、経済的活動の可能性がある市街地区もしくは農耕地帯への転居移住は生活上避け得ない必然的な要請であるから、斯かる事情の客観的存在に鑑みるときは、原告現住家の再移築に係る出捐も被告市の本件団地建設の廃止に伴い一般的に生ずるところの損害であるとみることを妨げないものというべく、仮に然らずしてそれが特別事情に因る損害であるとしても、本件弁論の全趣旨に徴し被告市において斯かる事情についての認識予見の存したことが明らかに窺われるので、いずれにしても被告市はその団地建設計画の廃止により原告の被むつた前叙損害を賠償すべき義務を免がれ得ないものといわなければならない。

八、そこでさらに、被告市が原告に対し負うべき賠償義務の細目について逐次検討判断することにするが、まづ原告が被告市の右団地建設計画の廃止に因つて被むつた物質的損害について検討する。

(一)  原告が本件公衆浴場建設に投下した費用。

およそ物の効用喪失に対する損害の賠償は、それが機能的なものであると、経済的なものであるとを問わず、通例当該物の交換価値を基準とすべきものであるが、本件浴場は未完成(完成度八〇パーセント)であるので、その建設に投下された資本価値換言すれば右建設に要した費用(ただし、浴場建物の残存価値を控除したもの)をもつて賠償額とみるのが相当である。

しかるところ、<証拠>を綜合すると、次のような原告出捐の事実が認められる。

(1)  浴場の建築施工費

金 一一一万三、六〇〇円

原告は浴場及び住宅の建築施工費として、請負人の宮崎功に対し、三回に亘り現金で合計金一四五万円を内払いしたほか、訴外福山木工所に対し、建具代として金五万五、〇〇〇円(原告は、みぎ金額のほか同建具代として猶四万五、〇〇〇円支払つている旨主張しているが、抽象的で措信し難いその旨の同人の供述以外には証拠がなく、これを認め得ない)を、また訴外富士電気商会及び九電荒尾営業所に対し、電気工事代金として合計金八、六〇〇円をそれぞれ直接支払つておるところ、右訴外宮崎は住宅(完成済み)の建築費は右建具代(建具は全部住宅用に使われている)および同電気工事代金の半額(電気工事代金は住宅部分と浴場部分が概ね半々となつている)を含めて総額四〇万円(したがつて右建具及び電気工事以外に充てられた建築費は三四万〇、七〇〇円となる)で賄つておるので、結局浴場の建築施工の方に充てられた費用は金一一一万三、六〇〇円ということになる(145万円+5万5,000円+8,600円−40万円=111万3,600円)。

(2)  物置建築材料費

金 二万円

原告は、住宅裏空地に本件浴場用の燃料(石炭、薪等)や道具類を貯蔵格納するため縦三間横一間半の物置を建築し右材料代(建築施工は請負人宮崎の弟子が無償で奉仕してくれた)として日元材木店に金二万円支払つているが、斯かる建物は浴場営業に欠くべからざる附属施設であるから、(1)に準じて浴場費の一建設部とみるべきものである。

(3)  浴場・煙突設計書作成料

金 三万九、〇〇〇円

原告は、本件浴場建物および同煙突の設計書作成料として建築士の訴外伊藤隆司に対し、金三万九、〇〇〇円支払つているが、かかる設計が該浴場の規模や構造等に照らし、その建設実施上欠くべからざるものであることは明らかであるから、右出捐も本件浴場建設に要した費用というべきである。

尤も甲第六号証の四(領収証)によれば、右作成料中には一部住宅の設計費用も含まれておるのではないかと窺われる記載が見えるのであるが、その成立について争いのない乙第七号証附属図面(設計図)と対照すると、右設計書は主として浴場建設のため作成されたもので、住宅部分は殆んど問題にならないほど比重の軽いものであることが明らかであるから、前記作成料はその全額を浴場建設の費用に含ませても支障がないものと考える。

(4)  建築確認申請手数料証紙代

金 二、二五〇円

原告は、建築確認申請手数料証紙代として、荒尾市職員共済組合宛昭和三五年一一月一五日金二、五〇〇円、同三六年四月二日金一、〇〇〇円をそれぞれ支払つておるところ、前者は浴場並びに住宅の双方に対するもので、その割合は半々(各一、二五〇円宛)であり、また後者は浴場の煙突設置に対するものであることが乙第七号証と甲第六号証の二および一〇との対照によりこれを窺い得られ、かかる費用も浴場建設に必随するものであることは建築基準関係法規上明白であるから、みぎ出捐も浴場建設に充てられた費用というべきである。

(5)  浴場建設材料の注文及び他の浴場施設視察等に要した旅費・雑費

金 三、七〇〇円

原告は、本件浴場用温水缶の注文や他の浴場施設の視察(被告市係員の助言慫慂によるもの)等のため前記請負人の宮崎功や被告市係員等と共に熊本その他に五回程赴き、その旅費・雑費として合計金三、七〇〇円を支出しているが、かかる出捐も浴場建設に要した費用というべきである。

(6)  公衆浴場営業許可申請手数料

金 三、〇〇〇円

原告は、本件浴場建設に際し熊本県知事宛公衆浴場営業許可の申請をなし右手数料として金三、〇〇〇円を所轄保健所宛支払つているが、かかる出捐も浴場建設に要した費用の一部を構成するものとなすことを妨げないものというべきである。

そうすると、原告が本件浴場建設のため出捐した金額は右(1)乃至(6)の合計金額である金一一八万一、五五〇円であるといわなければならない。

原告は右のほか、

(イ) 浴場及び住宅の敷地購入代

金 一九万円

(ロ) 住宅建築に要した費用

金 四〇万円

(ハ) 昭和三五年一一月一五日支払いの建築確認申請手数料証紙代(二、五〇〇円)中住宅部分 代金

金 一、二五〇円

(ニ) 新築祝費

金 二万五、〇〇〇円

(ホ) 大工・左官等の接待費

金 三万六、〇〇〇円

(ヘ) 原告が浴場建設のため自身農業にたずさわることができず、代りに他人を雇傭した賃料

金 二万四、六〇〇円

(ト) 建築資金として他から借入れた金員の利子

金 一万九、二〇〇円

(チ) 右資金借入れのため原告所有土地上に抵当権を設定しその旨の登記をした手続費用

金 三、四二〇円

以上合計金六九万九、四七〇円も被告市の本件団地建設計画の廃止により、原告が被むつた通常損害であると主張し、その賠償を求めているが、これらは後記のごとく原告の損害とはいい得ないものか、もしくは右団地の建設廃止との間に相当因果関係を欠くものであつて、いずれにしても被告市において賠償の責に任ずべき限りのものでないといわねばならない。

すなわち

(イ)については、該土地は現に猶原告の所有に属し、かつ暫定的ながらも同人およびその家族において現住家の敷地として使用占有し、なお将来も同地上の浴場建物を住宅用に改造してその二男と三男を同所に住まわせる予定にあることから、その敷地として右土地は引続き使用され、その用益性を失うものではないことが窺われるので、右敷地が団地の廃止に因り不用無価値のものに化したとは到底認め難くしたがつて右土地の購入に要した費用が原告の損害となるということもあり得ないところである。

(ロ)については、該住宅の建築は、たとえ原告において同団地内に公衆浴場を建設経営しようとしなかつたとしても、当時同人はその所有に係る住家が国道二〇八号線の新設予定路線にかかつておつたため、早晩右住家をとりこわして他の場所にこれを移築しもしくはそれに代る新家屋を建築しなければならない事情にあつたところより、公衆浴場の建設経営を契機として右団地に移築したものに係る(なお原告はその後国から右旧住家の取りこわし移築に要する費用を含む賠償を得ている)のであるから、原告の右住宅、建築に対する出捐が被告市の団地建設の廃止に因り損害に化するということはいかなる意味においても考えられないところである。

尤も右団地建設の廃止に因り右住家が同所においては居住者の生活の桎梏となり再び他所に移築するの已むなきにいたるような場合においては、右団地建設の廃止と右住家の再移築との間に因果関係を肯認し得るにいたるべきことは勿論である。

(ハ)についても、該費用が右住宅建築だけに必要とした出捐であることから、(ロ)と同様の理由により原告の損害となるものではない。

(ニ)については、右費用中住宅部分に対する祝費の性質をもつものについては右(ロ)及び(ハ)と同様の理由により原告の損害となるものではないし、また浴場部分に対する祝費の性質をもつものについても、その金額(両者の振り分けが明らかでないので仮に両者半々としても、みぎ金額は一万二、五〇〇円を下らない)の点からいつて、この種の新築祝としては過当で、右出捐額を被告市の団地建設廃止に因り原告が被むる運常損害に入れることは相当でないといわねばならない(なお右出捐が特別損害に属するとしても、被告にかかる出捐について予見が存したと認めるに足る証拠は存しない)。

(ホ)についても、(ニ)と同様の理由により損害とならなかつたり、因果関係を欠くものといわなければならない。

(ヘ)乃至(チ)については、原告がかかる出捐をなしたとしても、その費途及び金額からみて浴場建設に通常伴う費用とはいい得ないことが明らかであり、かつ被告市において原告のかかる出捐について予見が存したと認めるに足る証拠もない(むしろ乙第三号証の三乃至五によれば、原告は本件浴場建設資金を全額自己資金で賄う計画をもつていたことが明らかであるから、被告市は原告の建設資金借れ等に関する出捐は全く予想しておらなかつたものとみるのが相当である)ので、被告市の団地建設廃止と原告の右各出捐との間には因果関係を認め得ないものというべきである。

(二)  浴場建物の残存価値((一)の損害から控除を要する金額)。

<証拠>によると、昭和三九年五月現在において本件浴場建物は、これを改造して住宅用に供するものとすればその交換価値は概ね三〇万円に相当するものであることが認められる。

しかして原告は右浴場建物を現在地に残置しこれを改造してその二男と三男の住家に代用する意思であることは前認定のとおりであるから、右浴場の残存価値は、被告市の団地建設計画の廃止により原告の被むつた損害額の算定に当つては当然前記(一)掲記の浴場建設費用額から控除さるべきものである。

ところで原告は右浴場の残存価値は、約一〇万円と評価されるに過ぎない旨主張するが、<証拠>によれば右一〇万円という評価額は該浴場を解体のうえ古材として売却処分する場合の価格であつて、これを改造のうえ住家にする前提に立つての評価額は前記のごとく、自ら別であることが明らかであるから、居住目的で残置利用する本件の場合右原告主張の価格を採用するに由ないことは勿論である<反証―排斥>。

(三)  原告が住家を再移築するに要する費用。

<証拠>を綜合すると、昭和三九年五月現在において原告の現住家(その建坪数については、証人宮崎は二四坪位と述べているが、甲第三号証の請負契約書によれば25.5坪とあり、その後施工に当つて右建坪数が減縮せられたと認めるに足る証拠はないので、右住家の正確な建坪は25.5坪とみるべきである。)を旧住家跡附近の未買収地(国道二〇八号線沿いの残宅地)に移築するには、坪当り約三万円を必要とし、したがつて総額七六万五、〇〇〇円(3万円×22.5=76.5万円)を要するものであつたことが認められる。

尤も不法行為に因る損害額の算定は原則として該不法行為時をもつてその基準とすべきものであるから、右宮崎証人の証言による移築単価の算定時点は本件不法行為時との間に約三年のズレが存するわけであるが、それ以前における適確な算定資料がなく、また右単価はもともと該住家を建築した請負人でその構造・内容等に親灸している関係上その移築についても好意的かつ比較的低廉にこれを引き受ける意思を有していた前記宮崎功の評価に係るものであるから一般の請負相場より控え目に見積られておるものというべく、証人五藤進一の証言による後記算定額とも対比較量すると、前記三年の時差にも拘らず基準年(昭和三六年)度価格との間に殆んど径庭がないものと考えて差支えないものと判断される。

原告は右移築には、現住家の移転建築費(現住宅の解体、同解体材の整理、運搬、解体破損材の補足、移転先における再築等の費用)に一一三万六、二五〇円を要するほか、なお移転先における残存納屋の解体・整理および宅地造整の費用として四〇万七、〇〇〇円を必要とし、総額一五四万三、二五〇円の出捐となる旨主張し、証人五藤進一の供述はこれに符合するが、同証人の証言による右費用の見積りは昭和四三年一月二五日現在のものであつて、前記基準年度との間に七年間のズレがあり、この間における資材・労賃の著しい騰貴等を考慮するときは、原告主張の金額は到底これを採用し難く、就中移築先における残存納屋の解体・整理並びに住宅の造整等に関する費用は、被告市の団地建設計画の廃止によつて必要となつたものではなく、原告において既に国道二〇八号線新設に伴う用地買収としてその住家及び住宅の一部を買収され残存住宅と右国道との間に高低差が生じ、かつ該割譲による住宅狭隘化のため新たに納屋の立つている敷地部分に跨つて住家を建築しなければならなくなつたため生じたものであることが明らかであり、なお旧住宅についての右のような用益性の減損は右被買収時当然予想されたところで、買収価格もかかる不利益に対する補償を含めて決定されておるものとみるべきであるから、右残存納屋の解体・整理および住宅の造整関係費等は被告の団地建設計画の廃止との間に到底因果関係を認め得ない性質のものといわなくてはならない。

以上によると、被告市の本件団地建設計画の廃止によつて原告の被つた物質的損害は、前記(一)から(二)を差引いた金額に(三)を加えた金額すなわち一六四万六、五五〇円であるといわなければならない(118万1,550円−30万円+76万5,000円=164万6,550円)。

九、つぎに被告市の右団地建設計画の廃止に因る原告の精神的損害の有無について検討判断することにする。

ところで、本件のごとく財産権もしくは財産的利益(以下単に財産権等と称する)の侵害を受けた場合、一般的には原状回復または財産的損害の賠償を受けることによつて精神的苦痛も同時に慰藉されるものと考えられるので、かかる場合において財産的損害の賠償に加えてさらに精神的損害の賠償をも求め得るためには該侵害の方法が著しく反道徳的であつたり、被害者に著しい精神的打撃を与えることを目的として加害した場合等被害者に経済的な利害打算を超えた忿懣・屈辱の念をいだかせる場合もしくは侵害された財産権等が被害者にとつて特別の主観的・精神的な価値を有し、そのため単に財産的損害の賠償を受けるだけでは到底償い得ないほど甚大な精神的苦痛を被むつたと認めるべき特別の事情(しかして加害者にかかる特別事情の存在についての予見またはその可能性の存することを必要とする)がなければならないものと解するのが相当である(昭和41.12.22東京高判・判例時報四七四号二〇頁、注釈民法一九巻一九六頁参照)。

しかるところ、<証拠>を綜合して検討すると、原告が被告市の本件団地建設計画の廃止により落胆し、また賠償問題の未解決延引から家族間にも不和が起き、原告妻の宿痾にもやや悪化の兆しがある等の事実は窺い得るが、それ以外に右団地建設の廃止が著しく反道徳的なものであるとか、原告に著しい精神的打撃を与えることを目的として加害されたものであるとか、右団地建設の廃止により用益性を喪い廃物化した該浴場施設が原告にとつて特別の主観的・精神的な価値を有し、財産的損害の賠償だけでは到底償い得ない性質のものであり、かつ被告市にその点についての予見もしくは予見の可能性があつたとすること等の事実は、ついにこれを認め得ないので、結局被告市の本件団地建設計画の廃止による原告の精神的損害の賠償を求める請求は失当といわなければならない。

一〇、結論

そうすると、被告は原告に対し、原告が被告市の朝日ケ丘住宅団地建設計画の廃止によつて被むつた損害である金一六四万六、五五〇円およびこれに対する右不法行為時より後である昭和三八年六月一九日(本件記録上明白な訴状送達の日の翌日)からみぎ完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金(原告は右損害金を商事法定利率年六分の割合によつて求めているが被告の右支払義務は不法行為を原因とするものであつて、契約上の義務違背をその発生原因とするものではないのみならず、原告は既述のごとく現に公衆浴場営業を営んだものでもないので、商事法定利率に依るべき余地は全く存しない)を支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は、被告に対し前示金額の支払を求める限度においては正当であるから、これを認容することとし、その余は失当として棄却し、なお仮執行宣言を附することは相当でないから、これを附さないこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文を適用のうえ、主文のとおり判決する。(石川晴雄)

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